一期一会
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リスペクト・オブ・歴史人 車田正美×高杉晋作
(集英社/Ohスーパージャンプ 2010年6月号より転載)
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「おもしろき こともなき世を おもしろく」
オレが20歳過ぎで、歴史書をむさぼり読んでいた頃、
この高杉晋作の辞世の句に出会った。
吉田松陰が尊敬する人物なら、高杉晋作はオレの憧れ…
いや、ストレートに言うなら、オレは高杉晋作になりたかった。高杉晋作は維新の志士であるだけでなく、
数々の都々逸や詩を作ったシンガーソングライターであり、
剣も柳生新陰流免許皆伝の達人。当然、女にモテまくった。
男として、こうなりたいと思わない奴はいないだろう(笑)。しかし、これ以上ないくらい面白い人生だったはずなのに、
高杉はなぜあんな辞世の句をよんだのだろうか。高杉の師である吉田松陰は「狂え」と言った。
この「狂え」とは「クレイジー」ではなく、
理屈や常識を超えた「狂熱」とでも言うべき衝動のことだ。当時の長州藩は、孤立し壊滅寸前。
その中でただ一人、無謀にも見える「狂熱」で立ち上がったのが高杉だった。わずか20代の若者が奇兵隊を作り、藩内クーデターを起こし、
ついには幕府を打ち破る大きな風穴を開けた。この「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し」と評された、
まさに狂気の活躍は、同世代だったオレの心を激しく捉えた。当時のオレは、最初の連載が短命に終わったばかりで、次なる作品を求めてもがいていた。
寝ても覚めても、創作のことを考えていた。
いわばオレも、創作という自己表現に狂った若者だったのかも知れない。高杉がこの未完の句で、
本当に言いたかったのは「オレは面白く生きたぜ」という満足感なのか、
「もっともっと面白く生きたかった」という未練なのか…。
それは高杉本人にしかわからない…。
だがオレにはこの句が、
激しく短く生き抜いた風雲児の生涯を象徴している、
そんな気がしてならない。
プロフィール
TAKASUGI SHINSAKU
1839年9月27日~1867年5月17日没。
幕末、長州藩の尊王倒幕志士。
19歳で吉田松陰の松下村塾に入門。
日本初の民兵組織・奇兵隊など、諸隊を創設し長州藩を倒幕に方向付けた。
1866年、薩摩藩との間に薩長連合を締結。
同年、第二次長州征討で指揮を執り、各地で幕府軍を打ち破ったが、翌1867年、病死。
27歳の若さだった。